12月16日「おかしすぎるぞ!裁判所アクション~映画とトークの夕べ」が東京
しごとセンターで開かれた。この集会は9月25日に裁判所前で行われた「おかし
すぎるぞ!裁判所アクション」のアフターイベントとして企画されたもの。教員、
市民など32人が参加した。
<日独裁判官物語>
初めに『日独裁判官物語』(片桐直樹監督 1999年)が上映された。この映画は、日本とドイツの
裁判所、裁判官のあり方を比較しながら、日本の司法の問題点をクリアに浮かび上がらせている。「
市民に開かれた裁判所」を目指すドイツでは、裁判所は駅の近くや一般のビルの中にある。市民運動
に会場を提供し、ときには絵画展やビア・パーティーも開かれる。印象的なのは、法廷に入場する裁
判官が、立とうとする傍聴人に「座ったままで」と言う場面。日本では起立が義務付けられている。
管理と権威主義しかない日本の裁判所とのなんと大きな違い!
裁判官の処遇も同様だ。日本では転勤や異動が頻繁に行われ、それが裁判官支配のひとつの道具とな
っているが、ドイツでは本人の意志を無視した異動は禁止され、希望しない限り転勤はない。労働組
合があり、政党活動や市民活動に活発に参加する裁判官たち。一方、日本の裁判官は、市民集会で発
言しただけで懲戒処分を受ける(寺西判事補事件)。
それでは、ドイツの開かれた裁判所、裁判官の自由はどのように獲得されてきたのだろうか。1960年
代、ドイツでも裁判官の言論の自由が制限されたり、批判的発言に懲戒処分が科せられたりした。ナ
チス当時の裁判官たちが司法省の高官になり、そうしたことを行っていた。それに対して若い革新的
な裁判官たちが立ち上がり、司法の民主化が始まった。「市民のための司法」を目指したかれらの最
初の問いは「法廷でなぜ、裁判官が高いところに座らねばならないのか?なぜ、傍聴人を隔てる柵が
必要なのか?」だった。
ドイツの裁判所には、ナチス犠牲者の追悼の碑がいたるところにある。歴史から学び改革を成し遂げ
たドイツの裁判所。映画は「自由で独立した裁判官なしでは、国民の権利は守れない」という言葉で
おわる。
日本の裁判所はどうだったのか。戦前の裁判官が戦後、責任を問われて罷免されたという話は聞いた
ことがない。かれらは戦後もそのまま生き残り、法曹界に君臨した。60年代には、市民の立場に立っ
た判決も多くだされたが、良心的な裁判官は弾圧され、国や行政に逆らうような判決は出せなくなっ
た。戦前の知識人弾圧事件である「横浜事件」が、再審の扉を開いてもなお、無罪判決を出せないで
いるのはその象徴だ。日本はドイツとはまったく逆のコースをたどってしまったといえる。必要なの
は、戦前の歴史を根本から批判的に問い返すこと、裁判官自身が市民とともに立ち上がることではな
いだろうか。映画を観おわってそんなことを考えた。
<大高正二さんのお話>
ジョニー・Hさんの替え歌『裁判官さん』の演奏のあと、大高正二さんのお話があった。
大高さんは、10年前に借地・借家法に関連した事件で不当判決を受けた。そのときから裁判所まえで
「裁判所のおかしさ」を訴えはじめた。最近では、3分ビデオ『裁判所前の男』がつくられ、「裁判
所前の男」とも呼ばれている。
大高さんは、裁判所が今のようなひどい状態になっているのは、国民が関心をもたない、ものを言
わないことにも起因していると語った。また、裁判所のデタラメ判決は、人事権を握っている最高裁
の責任。最高裁に逆らうと裁判官は差別されてしまうので逆らえない。そして一番の原因は、裁判官
の数が少ないこと。1日2~3件を処理しなければ間に合わない現状で、まともな判決が出せるはずが
ない。裁判官は時間がないので、書記官や、場合によっては相手の弁護士に判決を書かせているとい
う驚くべき事実も語られた。
大高さんを排除したい裁判所・警察は、今まで3回大高さんをデッチあげで逮捕している。2回目の
逮捕は、裁判員裁判の始まる前日の6月30日だった。これは拘留ののち不起訴になったが、続けてT
銀行への名誉毀損で再逮捕・起訴され現在仮釈放中だ。M検事は、大高さんの知り合いに「裁判所の
指示で大高さんを逮捕した」と語ったそうだ。裁判員裁判が始まり、マスコミや市民が裁判所に注目
するとき、大高さんのように裁判所前で真っ当な裁判批判をする人は彼らにとって最も不都合な人間
だ。邪魔な人間は逮捕でもなんでもして排除するというのが、いまの裁判所のやり方である。おそる
べき国策逮捕、権力犯罪が白昼まかり通っている。
最後に大高さんは、裁判官は高いところにいて市民を見下すのではなくドイツのように法壇や柵を
やめ、市民と同じ目線で考えてほしい。そして国民が裁判所に関心をもち発言することが一番大切だ
と語った。(※12月25日11時から大高さんは裁判所を批判するビラまきをする。ぜひ、みなさんの支
援を!)
<最後に>
「裁判所アクション」をもうひとつ掘り下げたいと今回の集会を企画した。映画と大高さんのお話は
、これからのわたしたちの方向性を示して示唆的だった。来年、またこの運動を深めるようなことが
できればと思っている。
※「おかしすぎるぞ裁判所!アクション」ブログ http://saiaction.exblog.jp/
しごとセンターで開かれた。この集会は9月25日に裁判所前で行われた「おかし
すぎるぞ!裁判所アクション」のアフターイベントとして企画されたもの。教員、
市民など32人が参加した。
<日独裁判官物語>
初めに『日独裁判官物語』(片桐直樹監督 1999年)が上映された。この映画は、日本とドイツの
裁判所、裁判官のあり方を比較しながら、日本の司法の問題点をクリアに浮かび上がらせている。「
市民に開かれた裁判所」を目指すドイツでは、裁判所は駅の近くや一般のビルの中にある。市民運動
に会場を提供し、ときには絵画展やビア・パーティーも開かれる。印象的なのは、法廷に入場する裁
判官が、立とうとする傍聴人に「座ったままで」と言う場面。日本では起立が義務付けられている。
管理と権威主義しかない日本の裁判所とのなんと大きな違い!
裁判官の処遇も同様だ。日本では転勤や異動が頻繁に行われ、それが裁判官支配のひとつの道具とな
っているが、ドイツでは本人の意志を無視した異動は禁止され、希望しない限り転勤はない。労働組
合があり、政党活動や市民活動に活発に参加する裁判官たち。一方、日本の裁判官は、市民集会で発
言しただけで懲戒処分を受ける(寺西判事補事件)。
それでは、ドイツの開かれた裁判所、裁判官の自由はどのように獲得されてきたのだろうか。1960年
代、ドイツでも裁判官の言論の自由が制限されたり、批判的発言に懲戒処分が科せられたりした。ナ
チス当時の裁判官たちが司法省の高官になり、そうしたことを行っていた。それに対して若い革新的
な裁判官たちが立ち上がり、司法の民主化が始まった。「市民のための司法」を目指したかれらの最
初の問いは「法廷でなぜ、裁判官が高いところに座らねばならないのか?なぜ、傍聴人を隔てる柵が
必要なのか?」だった。
ドイツの裁判所には、ナチス犠牲者の追悼の碑がいたるところにある。歴史から学び改革を成し遂げ
たドイツの裁判所。映画は「自由で独立した裁判官なしでは、国民の権利は守れない」という言葉で
おわる。
日本の裁判所はどうだったのか。戦前の裁判官が戦後、責任を問われて罷免されたという話は聞いた
ことがない。かれらは戦後もそのまま生き残り、法曹界に君臨した。60年代には、市民の立場に立っ
た判決も多くだされたが、良心的な裁判官は弾圧され、国や行政に逆らうような判決は出せなくなっ
た。戦前の知識人弾圧事件である「横浜事件」が、再審の扉を開いてもなお、無罪判決を出せないで
いるのはその象徴だ。日本はドイツとはまったく逆のコースをたどってしまったといえる。必要なの
は、戦前の歴史を根本から批判的に問い返すこと、裁判官自身が市民とともに立ち上がることではな
いだろうか。映画を観おわってそんなことを考えた。
<大高正二さんのお話>
ジョニー・Hさんの替え歌『裁判官さん』の演奏のあと、大高正二さんのお話があった。
大高さんは、10年前に借地・借家法に関連した事件で不当判決を受けた。そのときから裁判所まえで
「裁判所のおかしさ」を訴えはじめた。最近では、3分ビデオ『裁判所前の男』がつくられ、「裁判
所前の男」とも呼ばれている。
大高さんは、裁判所が今のようなひどい状態になっているのは、国民が関心をもたない、ものを言
わないことにも起因していると語った。また、裁判所のデタラメ判決は、人事権を握っている最高裁
の責任。最高裁に逆らうと裁判官は差別されてしまうので逆らえない。そして一番の原因は、裁判官
の数が少ないこと。1日2~3件を処理しなければ間に合わない現状で、まともな判決が出せるはずが
ない。裁判官は時間がないので、書記官や、場合によっては相手の弁護士に判決を書かせているとい
う驚くべき事実も語られた。
大高さんを排除したい裁判所・警察は、今まで3回大高さんをデッチあげで逮捕している。2回目の
逮捕は、裁判員裁判の始まる前日の6月30日だった。これは拘留ののち不起訴になったが、続けてT
銀行への名誉毀損で再逮捕・起訴され現在仮釈放中だ。M検事は、大高さんの知り合いに「裁判所の
指示で大高さんを逮捕した」と語ったそうだ。裁判員裁判が始まり、マスコミや市民が裁判所に注目
するとき、大高さんのように裁判所前で真っ当な裁判批判をする人は彼らにとって最も不都合な人間
だ。邪魔な人間は逮捕でもなんでもして排除するというのが、いまの裁判所のやり方である。おそる
べき国策逮捕、権力犯罪が白昼まかり通っている。
最後に大高さんは、裁判官は高いところにいて市民を見下すのではなくドイツのように法壇や柵を
やめ、市民と同じ目線で考えてほしい。そして国民が裁判所に関心をもち発言することが一番大切だ
と語った。(※12月25日11時から大高さんは裁判所を批判するビラまきをする。ぜひ、みなさんの支
援を!)
<最後に>
「裁判所アクション」をもうひとつ掘り下げたいと今回の集会を企画した。映画と大高さんのお話は
、これからのわたしたちの方向性を示して示唆的だった。来年、またこの運動を深めるようなことが
できればと思っている。
※「おかしすぎるぞ裁判所!アクション」ブログ http://saiaction.exblog.jp/
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by saibansho-action
| 2009-12-20 15:01